◇自分事として備えるきっかけに
未曽有の被害が出た関東大震災から9月1日で100年。復興事業は首都圏の都市の土台を築いた。教訓を生かした耐震化や不燃化などの対策は今も続き、阪神大震災や東日本大震災の経験も踏まえ防災・減災の活動が広がっている。次の災害に備える取り組みを取材した。(関東大震災100年取材班)
関東大震災は1923年9月1日午前11時58分に発生し、地震規模はマグニチュード(M)7・9。相模トラフが震源の海溝型地震で、中山間地から東京湾周辺の人口集積地まで広域に被害が出た。直接死・行方不明は10万5385人、経済被害は当時の国家予算(約14億円)の3倍を超える約55億円に達した。神奈川は倒壊家屋が最も多く、東京は揺れが小さい地域がありながらも、火災の死者や焼失建物が多かった。東京の死者の約9割は火災が原因。液状化、津波、土砂崩れなどが千葉や埼玉などでも発生した。
震災復興は当時の帝都復興院が主導。復興計画に基づく事業が現在の都市基盤や街並みの形成につながっている。山下公園(横浜市中区)のようにがれきを埋め立てた広場や、同潤会の簡易住宅団地などの整備が進行。震災の翌24年には建物を地震に耐えられるようにする世界初の地震力規定が市街地建築物法(建築基準法の前身)に定められた。25年には東京帝国大学(現東京大学)に地震研究所が設置され、地震の研究活動が本格化することになった。
政府が6月16日に閣議決定した2023年版の「防災白書」は、100年の節目となることで「関東大震災と日本の災害対策」と題した特集を巻頭に組んだ。震災当時を振り返るため、600ページを超える政府の専門調査会の報告書や各種調査の結果などから、白書を編さんする内閣府の担当者が必要な内容をピックアップ。さまざまなデータを分析し、震災を出発点とした災害対策の歩みと、社会・経済が様変わりした現在の課題をまとめ、過去の教訓を踏まえた今後の災害対策の方向性を示した。
特集には震災当時の被害や社会への影響とともに、その後の建物の耐震化対策の進捗(しんちょく)や防災に関する調査の結果などを掲載。国民意識の調査では、自然災害への対処について「家族や身近な人と話し合ったことがない」との回答が約4割に上り、内閣府の担当者は「災害を自分事として捉え、備えのきっかけにしていただきたい」との思いを込めたという。
内閣府は政府の防災対策の司令塔となる。100年の節目を迎え高橋謙司政策統括官(防災担当)は「いま一度、大災害への備えに思いを新たにして、災害対策を一層強化する」と決意を語る。関係省庁や自治体、インフラ管理者などが講じているハード・ソフト対策に併せて、民間企業と連携した防災の普及啓発に一段力を入れ「国民に防災意識の向上を働き掛け、備えをしっかり促す」方針だ。