建築へ/上智大学1号館が東京都選定歴史的建造物に、れんが調の重厚な外観

2024年11月1日 論説・コラム [14面]

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 上智大学のシンボル校舎「1号館」(東京都千代田区、1932年竣工)が東京都選定歴史的建造物に選ばれた。スイス人建築家が設計したれんが調の学校建築。竣工当時はエレベーターも設置されるなど、最新の設備と重厚な建築で知られた。戦時下の東京大空襲による被害もなく、残存しているケースが少ない貴重な建物だ。四谷キャンパスの正門近くに位置し、現在も大学のランドマークとして親しまれている。
 東京都選定歴史的建造物は、築50年を経過した歴史的な価値を持つ建造物のうち、景観上重要な建物。都知事によって選定される。
 1号館の所在地は紀尾井町7の1。RC造地下1階地上4階建て延べ4518平方メートルの規模となる。日本で数多くのカトリック教会を手掛けた建築家マックス・ヒンデル(1887~1963年)が設計した。
 外壁は1階が花こう岩のルスティカ積みを採用。表面を滑らかに加工せず、自然な凹凸をあえて残しているのが特徴だ。2階以上は赤色二丁掛けタイル貼りで変化を持たせている。各階の窓の上下には突起状のリブを配置し、水平線を強調した印象的な外観を生み出している。
 上智大学はカトリック修道会の一つ、イエズス会が中心となり、1913年に創立した。18年に大学令が公布されると大学への昇格を目指すようになる。当時の学校関係者が大学に昇格した時、いろいろな施設や教室が必要になるであろうとの思いから、1号館の建設に向け動き出した。
 建設の背景には世界規模でのドラマと善意があった。資金の確保に尽力したのはドイツ人のブルーノ・ビッテル神父。ドイツのケルンに募金事務所を設置し同国内だけでなく、オランダやフランス、米国などのカトリック教会や学校に募金を呼び掛ける書面を送付。多くの人が募金に応じた。
 募金活動を展開する中、大きな影響を与えた人物の1人がローマ教皇ピオ11世だ。校舎建築のため募金する人に対し、「大いなる愛と父親としての感謝の念を込めて教皇祝福を与える」と発信し、全世界からの寄付につなげた。
 32年6月12日に1号館が完成。地下は学生食堂や浴室、機械室、1階には事務室や図書館などを配置。2~4階は大小さまざまな教室が入った。当時としては珍しいエレベーターも完備した。
 校舎西側の2、3階には約310人が収容できる講堂(398平方メートル)を設け、入学式や卒業式、ミサ、講演などの会場として使った。71年に体育館が造られると学校行事の会場は体育館に移行した。同年、講堂は劇場に改造。壁や柱をペンキで黒く塗り、照明装置も設置した。現在も学生の演劇活動の場として活用。「上智小劇場」と呼ばれている。
 1階の廊下の天井には竣工時からある時計がつり下げられている。上智大学総務局の栗原康行さんによると「卒業式などで学生がよく写真を撮っており、フォトスポットになっている」という。現在は1階の廊下にあるが、建物完成時は全階か、2階の廊下だけに設置していたと見られている。
 上智大学は1号館を改修する時に外観のイメージを壊さないよう、行政と協議を行う。例えば窓枠は鉄製からアルミ製に変更しているが、竣工当時の風合いを再現した。内部も昔のままを維持する一方、安全性確保などの観点から必要な改修や設備の導入を行っている。
 2008年度には耐震改修を実施した。新型コロナウイルスが流行した時は「昔の建物なのでコロナの時の換気基準を満たしていなかった」(総務局・松崎憲隆さん)ため、全ての教室の窓に換気扇を設置することになった。その際、建物裏手に設置したため、表側の景観は何も変わっていないという。
 今後の1号館の在り方について、栗原さんは「上智大学のシンボル的な建物である一方、教室として今でも使っている。学生の思い出の場所になるよう、現在の状態を維持して将来の世代に引き継いでいきたい」と展望する。

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