◇学生と共に活動・挑戦できたことが幸運
建築家の古谷誠章氏(早稲田大学教授)は、大学での研究と設計の実務を車の両輪に活動し続けてきた。1月18日に東京都新宿区の大隈記念講堂で行った最終講義のテーマは「建築が人々に引き合わすもの」。教育者、実務者として多岐にわたる活動を振り返りながら、建築に込めた思いを語った。
◆使われてこそ生きる
古谷氏はテーマについて「建築がいろいろな人に出会わせてくれた。建築がさまざまな土地を訪れさせてくれた。建築が実に多くのものを引き合わせてくれるチャンスになっている」と説明。その出発点を「穂積(信夫)先生のところでお手伝いした『(早稲田大学)本庄高等学院』の設計と工事監理。ここで(建築に)出会ってしまった」と振り返った。
本庄高等学院は教科ごとに別々の専用教室を設ける「教科教室型」の先駆けで、「大学の研究室は一から新しいものを考える原動力を持っている。それを発注者が真っ正面から取り組まなければこんなものはできない。そう身も心も実感してしまった」。設計事務所に就職予定だったが、「大学の研究室を運営しながら、そこで得た考えに基づいて建築をつくっていきたい」と大学に残ることを決めたという。
ただ本庄高等学院では寂しいことも起きた。学校の先生たちが建築の使い方に戸惑い、現在は校舎として使われていない。「つくる側が一生懸命努力し、情熱を傾けても建築として全うできない。つまり使われてこそ初めて建築というものが生きる」。この経験も建築活動の大きなきっかけになったと話した。
◆がらんどうが芸術空間に
古谷氏は趣味の芝居鑑賞を通じて舞台にも関心を寄せた。そのきっかけが大谷石採掘場跡を舞台にした転形劇場の芝居「水の駅」。「洞穴のような空間に舞台装置が運び込まれ、そこに人が現れることで演劇が成立する。がらんどうのような場所が素晴らしい芸術的な空間になる。これも建築が備えるべき一つの性質ではないかと思った」とし、ホールのコンペに積極的に挑戦する理由を明かした。
1986年に行われた「新国立劇場」と「湘南台文化センター」のコンペに応募。学生(穂積研究室)と取り組んだ最初のコンペで、「二つとも好成績でそれなりに満足できたけど、やっぱり悔しかった。こういうものに挑戦し、なんとか勝ち取らなければいけない。コンペ人生のスタートだった」と当時を振り返った。
古谷氏はスイスのマリオ・ボッタの事務所に在籍。94年に早大助教授に就くとともに、設計事務所NASCAを立ち上げた。95年の「せんだいメディアテーク」のコンペでは図書館やメディアセンター、ギャラリーなど異なる用途を区別なく実空間に備え、デジタル技術(空間)で整理し管理する考え方を提案した。「負けて悔しかったけど大きな勉強になった。私はごちゃごちゃしているものが好きだと、この時はっきりと分かった」という。
複雑なメカニズムや整理整頓されていない空間になぜ引かれるのか。そのヒントを見つけようと学生とアジア各国を見て回った。タイの首都バンコクでマーケットの真ん中を線路が走る「レールウェイ・マーケット」を発見。電車が来ると、店のテントを畳んで通り過ぎるのを待ち、行ってしまうとまたテントを張って店を再開する。
「鳥肌が立った。計画されてできる空間ではなく、長い年月をかけてできちゃった空間。このできちゃった空間の中には素晴らしいメカニズムが隠れている。これがなぜ、ずっと平和に共存しているのか。いまだに追求していきたいと思っている」と語った。
◆建つ間が心待ちの時間に
2026年に開館30周年を迎える「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」では現在、大規模なお化粧直しをしているという。別館の増築となる「やなせたかし記念館詩とメルヘン絵本館」では、子どもたちに新しいミュージアムをワークショップ(WS)を通じて、あらかじめ体験してもらった。「建つ間が空白ではなく心待ちにする時間になる。スタッフも予行演習になり、開館直後からいろいろな行事がスムーズに進む」とし、学生とのWSに手応えを実感した。
コンペで1等を取った「群馬県中里村新庁舎」でもWSを企画。小中学生と一緒に将来役場でなくなった場合の使い道を考えた。「子どもたちはWSを通じて中がどうなるか分かっていく。分からない村人たちを子どもたちが案内するというWSを最後に行った」と述べ、公共施設の建設が住民の協働を促すチャンスと指摘した。村役場として計画したが、工事中に村が合併し1日も役場として使われなかった。だが図書館やジムなどWSのアイデアが実現しているという。
「茅野市民館」もコンペで当選し、WSを通じて市民と共につくりあげた。JR茅野駅前に二つのホール、市民美術館、市民ギャラリー、図書館の駅前分室、レストランなどが入る複合施設。異なる機能を空間的・運営的に一体化し、流動的で有機的な使用が可能で「市民が思い思いにやってきて時間を過ごしていくような開かれた場所となった」。長い市民と取り組みを、市民主体で一冊の本にまとめていることも紹介した。
◆負けた案も無駄ではない
学生とコンペに参加する機会が増え、海外プロジェクトにも挑戦するが、負けることも少なくない。「コンペで負けた案も決して無駄にならない。ブラッシュアップしていくと必ず次の時に良い形で実現できる。負けることも大事。それが未来の種になる」と後進にエールを送った。
被災地支援にも研究室を挙げて取り組んだ。高台移転の計画や復興住宅のL字型プランなどを提案。失われたまちの模型をつくり、失われた記憶を取り戻すWSも行った。小説家のC・W・ニコルさんに頼まれ、宮城県東松島市で「森が学校プロジェクト」を推進。「小高い場所に被災した低地を見下ろす展望デッキなどを学生たちが自力で建設し、その後、大工になった人もいる」と話した。
最近のプロジェクトやトピックなども紹介した。研究室の卒業生が大阪・関西万博のヨルダン館でディレクターに選ばれ、研究室とNASCAが協力。テント型のパビリオンでシアターにヨルダンの砂漠の砂を敷き、体験できるという。
古谷氏はこれまでに全国各地・世界各国で100件以上のプロジェクトを実現してきた。相当数のコンペに応募し、次点や入選で実現しなかった案も多い。「(コンペを通じて)学生と共に活動できた。いろいろなことにチャレンジできた。そうしたことに巡り会えて幸運だった」と締めくくった。