回転窓/大地震と近代造船の先駆け

2025年3月17日 論説・コラム [1面]

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 かつて大地震が日本に新たな造船技術をもたらしたことは、知る人ぞ知る史実だろう。話は江戸時代末期の安政元(1854)年にさかのぼる▼同年11月4日、安政東海地震で太平洋沿岸など広い範囲に甚大な被害が発生した。ちょうど日露和親条約締結のため下田港(静岡県)に停泊していたのがロシアの軍艦ディアナ号。大津波で大破し、戸田港へ修理に向かう途中で突風に見舞われて沈没する▼そこで両国が共同して代替船を建造することになり、幕府から韮山代官・江川坦庵が責任者の命を受けた。この造船で日本は洋式帆船の近代技術を習得でき「日本海運史上に大きな足跡を残すこととなった」(沖田正之著『江川坦庵』)という▼安政東海地震の翌日に安政南海地震が起き、翌2年には江戸を直下型の大地震が襲う(安政江戸地震)。これら災害史から現代に生かせる教訓は多い▼坦庵は蘭学や兵学、芸術にも造詣が深く、世界遺産「韮山反射炉」(伊豆の国市)の築造でも知られる。日本で近代洋式造船の先駆けとなった代替船「ヘダ号」だが、坦庵は完成を見ずに亡くなってしまう。今年は没後170年に当たる。